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マオリ語はアオテアロア(ニュージーランド)の島人、マオリ人の言葉です。映画『クジラの島の少女』のちょっぴり冷たそうな海の色に感動したみなさん、この太平洋言語を勝手に覚えて、どんどん使いましょう。


by moananui

46 別の解釈

 と書いたら、先週までオークランドで英語を勉強していた東京在住のMくんから、以下のようなお便りがありました。英語学校の先生に聞いた解釈だそうです。

「昔、ずるがしこいマオリの首長(名前は忘れてしまいました)が、恨みをもたれて人々に追われて逃げいた。
 どんどん逃げまわっている途中にプフルフル(毛深い男)という名前の別のグループの首長のところに逃げ込んだ。
 「人に追われていて奴らは自分を殺しに追ってきていてもうそこまできている助けてくれ」とプフルフルに頼んだ。しかしプフルフルは助ける理由はないと最初は断った。
 しかし、助けてくれたら恩返しをすると約束するといわれじゃあ助けてあげることになり食料を保存する地下室に首長を隠し、その真っ暗な地下室の入り口にプフルフルの奥さんを座らせた。
 追ってきた人たちにプフルフルは首長はどこだと聞かれたが、「あっちにいったよ」とうそをつき、彼らは疑ったが、そこには地下室の入り口に座った奥さんしかおらず、奥さんのお尻の下の地下室に首長がいるはずがないとプフルフルの指した方向に追っていった。
 マオリは男尊女卑で女性のお尻の下にいるという行為はありえない行為でマナを失われるとされていた。(マナというのはエネルギーのことで人を倒したりすると得られるパワーとかいってました。)
 こうして難を逃れた首長は追われる生活から開放されて自由になり、地下室の階段を一歩一歩あがっていくのがハカの最後のほうの部分に当たって、暗い地下室から明るい外にでて太陽がまぶしいというストーリーで、プフルフルへの感謝の歌といってました。」

 ははあ、プフルフルを別人だとすると、たしかにまったく別の物語になりますね。そうかもしれないなあ。しかし、オール・ブラックスが試合前に歌うには、ちょっとふさわしくないようでもあります。この件、そのうちまた調べてみましょう。

 もっとも、もとの歌や言葉が別の意味で流通するようになるのはどこでもあることですから、あまり気にすることもないのかもしれませんね。ともあれ、Mくん、ありがとう。また何かわかったことがあったら、いつでも教えてください。

 ちなみに「マナ」というのは力、自然成長力です。この感覚でいうと、たとえば髪の毛にはマナがある。人の髪の毛をくしゃくしゃにして親愛の情を表わすことをヨーロッパ系の人はときどきやりますが、あれは嫌われる。アメリカ・インディアンも多くの部族が髪を大切にし、伸ばしますね。髪だけでなく、身につけるもの、たとえば衣服にもマナが「うつる」とされています。これで衣服は、たとえば道具類とは言語的に別のカテゴリーに入り、それが語法に反映されることがあるのですが、ちょっとこみいった話なので、また別の機会に。
by moananui | 2005-08-26 08:18